当社の歴史は、そのまま日本におけるアンホ(硝安油剤爆薬)の普及と発展の歴史です。
1950年代の半ば、アメリカで実用化試験に成功したアンホは、その抜群の経済性と安全性により、またたく間にアメリカ、カナダ、スウェーデンなど、各国の鉱山、土木、砕石業界を風靡するにいたりました。
 このアンホを、わが国に導入するにあたり、昭和30年代から40年代初めにかけて、いわゆる「アンホ論争」が、国会の場をはじめ、各方面で討議されました。
 昭和39年5月、日本におけるアンホのパイオニアとして、当社の前身である協同アンホ製造株式会社が、中小鉱山で組織されている全国鉱業協同組合と、非鉄金属大手3社との合弁で設立されました。
 全国有数の鉱山地帯である、秋田県北鹿地方の中心地・大館市に、わが国初のアンホ専門工場を建設。
主として、周辺の鉱山向けに良質で安価なアンホを供給し、当時、貿易の自由化前後の不況下、そしてその後、円高と価格低迷による危機的な状態にあった非鉄金属鉱山の合理化に大きく貢献しました。以来、品質の改善と性能の向上を計り、アンホ需要の開拓に努めてきました。
 幸い、アンホの長所が広く一般に認識されるに伴い、当社の販路も鉱山業界から砕石、石灰石、土木業界などへ逐次拡大し、現在では、日製許可量40dの設備を擁し、広く各方面からご愛用をいただいております。
 また、昭和57年末には、当社の永年の研究成果として、従来の一般爆薬に匹敵する新爆薬アランドマイトの製造工場を完成し、昭和58年より製造販売を開始しました。これらにより創業以来のアンホ専業メーカーから脱皮し、更に多角的な需要に対応しようとしています。


●昭和39年 協同アンホ製造株式会社を設立
(資本金:1,250万円)
大館工場建設(日製許可量3d)
●昭和43年 倍額増資(資本金:2,500万円)
●昭和47年 社名を日本アンホ火薬製造株式会社に改称
アンホの日製許可量8dとなる
●昭和49年 倍額増資(資本金:5,000万円)
●昭和55年 新爆薬の試製工室を建設(日製許可量:30Kg)
●昭和56年 アンホの日製許可量15dに変更
●昭和57年 アランドマイトの工業化試験開始
(重要技術研究開発補助金の交付を受ける)
●昭和57年 アランドマイトの製造工場完成
(日製許可量600Kg)
●昭和58年 アランドマイトの生産販売を開始
●昭和59年 株式配当により4割増資
(資本金7,000万円)
●昭和60年 アランドマイトの本格生産開始
(日製許可量:1,600Kg)
●平成11年 アンホの日製許可量27dに変更
●平成12年 第三者割り当てにより増資(資本金:9,114万円)
●平成16年 アンホの日製許可量40dに変更